ラジオとカセットとドロップと
ラジオが好きだ。なーんて、前から好きだったように語ったら怒られる。
聞き出したのは本当に最近。パニック障害になってからだ。
一時期、目からの刺激が一切ダメだった。本もスマホもテレビも…。息子の小学校の手紙さえ読めなかった。
GWの緊急事態宣言下で、毎日流れてくるコロナのニュースが怖くて少し映像から離れたかったという心の問題もあった。
あの時期…景色さえもフワフワして、出来ることならずっと目を閉じていたかった。
そこで出会ったのがラジオだ。
思えばラジオなんて全く触れずにきた。車の移動中は専らCDを聞き、家ではTV。
私の人生にラジオと交差する時間はなかったように思う。
ところが、聞き出すと夢中になった。なんだろう。テレビでは感じる事のない、あの声の温もり…。すぐ傍で話し手と繋がっているような感覚。
なんだか、とっても新鮮だった。
日本中にいる誰かが、曲をリクエストして、それがパーソナリティーに届いて配信される。そんな、点と点が結ばれた感じが素敵だと思った。
ふと、小学生の時に友達と交換したカセットテープの事を思い出した。互いの好きなCDをカセットテープに録音して、中身を教える事なく交換した、あの頃。
何の曲が流れるか分からないワクワク感。そして、その曲を選んだ相手と繋がっている感じ。
似てると思った。
未知の曲が流れて自分の琴線に触れる。
自分ではない誰かの“好き”が心を揺さぶる。
ラジオから流れる誰かの“好き”が、自分の“好き”に触れて心の線を揺らす瞬間。
なんとなく昔懐かしいカセットの記憶が蘇って、ノスタルジックな気持ちになった。
そしてもう一つ思い出したのがドロップスだ。よくおばあちゃんが買ってくれたドロップ缶。
缶を揺らすと出るカラカラという高い音と、心躍らせるカラフルな色、そして様々なフルーツの味。
それらを上回る魅力が、缶からドロップが姿を見せるまで、何味が出るか分からないドキドキ感だ。
ドロップが出た瞬間に『ヤッタ!!まさにこれが食べたかった』という喜びを味わう事がある。
ラジオとカセットとドロップと…。全く違うようで、なんだか似てる。
自分で選ぶことのない未来が、自分の“好き”を揺らしてくれるのだ。
そしてそれらには、パーソナリティー・リスナー・友達・おばあちゃん…と、背景に人との温かな繋がりがある。
数年後、何かのきっかけで、きっと私はラジオを聞いた今日の事を思い出す。その時、誰との温かな記憶を連想するのだろう。
そんな事を感じた2020年の年末。きっと誰にとっても今年は忘れる事の出来ない年。
どうかどうか、来年は有難い日常が戻ってきますように。
そして人との繋がりの温かさを、ぬくもりを直に感じられる世の中になりますように。
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